Hola Todosーー(^^♪
たくちゃんです
3月も末になり気温も上がり
各地から満開の桜の便りが届く季節になり、映像が流れるたびにワクワクします。
昨日は「後藤又兵衛」にご縁のある
宇陀市本郷にある「又兵衛桜」を見に行ってきました。
又兵衛桜には、以前、数度行ったことがあるのですが
今までも枝垂れ桜の迫力と、枝が風にそよいで、揺れる美しさに感動してきました。
後藤又兵衛
後藤又兵衛と言えば
まだ記憶に新しい真田幸村を描いた大河ドラマ「真田丸」で
大坂夏の陣のシーンで登場した武将です。
後藤又兵衛は、大坂夏の陣と呼ばれる戦いに参加し、豊臣方の武将として戦いました。
大坂夏の陣は、1615年に起こった豊臣秀頼と徳川家康の対立により発生した戦いです。
後藤又兵衛は、自らが所有する馬や武器を提供し、軍資金を出して豊臣方の軍勢を支援しました。また、後藤又兵衛が領していた宇陀郡をはじめ、周辺地域から多くの兵士を動員し、豊臣方の軍勢を増強することにも尽力しました。
しかし、豊臣方は徳川方の圧倒的な軍勢に敗北し、大坂城が陥落すると、後藤又兵衛も戦死したと伝えられているのが、一般的な史実です。
又兵衛桜の説明看板には
1615年(元和元年)5月8日、大阪夏の陣で、豊臣方は敗退したが、又兵衛は、再挙兵の希望を捨てがたく、城中より逃れ落ちた。
紀州をまわって、知人を頼り大和宇陀の当地へ来て、本郷の鉱泉で傷を癒し、豊臣家の再興を待ったが、世は徳川の天下になったので、又兵衛は僧になり「後藤」の姓を一時「水貝」と改めて生活していたと伝えられています。
当地には、後藤の姓を名乗る家が数軒あり、この又兵衛ゆかりの枝垂れ桜が残っている場所も、後藤家の屋敷跡であると伝えられている説もあるようです。
大河ドラマ自体も、あくまでドラマで、当時の史実と異なることもあるし
実際、当時のことはわからないのでどちらでもいいことかな? そんな風に思います。

朝早くから、三脚をセットして、撮影待ちされている方が、たくさんおられました。




















































