薬師寺南側にある薬師寺守護の休ヶ岡八幡宮:古の神仏習合信仰を蘇らせ、信仰の道場へ

Hola Todosーー(^^♪
予祝風水師 たくちゃんです

薬師寺の南側にある駐車場に車を停めて薬師寺中門の方に北に歩いていくと
途中に「休ヶ岡八幡宮」「孫太郎稲荷社」があります。
この神社の前の道を歩きながら、今までは通り過ぎていたのですが
お参りして見てビックリ!!

大好きな神功皇后、仲津姫命が祀られている神社でした(笑)

薬師寺南側にある休ヶ岡八幡宮は、すごい歴史のある神社です

有名な薬師寺を守護する神さまのすごいラインナップです。

休ヶ岡八幡宮は、薬師寺を守護する神社!!

奈良の社寺には、神社とお寺の神仏習合のおもかげを残している社寺が多いです。

御祭神

● 僧形八幡神(八幡神をお坊さんの姿で表した像)
成功勝利、悪病災難除け、国家鎮護、家運隆昌、縁結び、安産、子宝、子育て守護 
● 神功皇后 学業祈願、厄除け、開運招福、武運長久、海上安全
● 仲津姫命

休ヶ岡八幡宮は、大分県宇佐八幡宮から寛平年間(889~898)に栄紹別当によって勧請され、薬師寺の南側に位置しています。この神社は薬師寺を守護する役割を果たす神社として、長い歴史を有しています。
休ヶ岡という地名の由来は、貞観年間に大安寺の行教和尚によって行われた勧請に関連しています。八幡大神が大安寺の元石清水八幡宮に勧請された際、休息されたとされる地であることから名付けられました。

『今昔物語集』には、鎮守八幡大神が金堂を火災から守ったという説話が記されており、これにより古くからこの神社が厚く信仰されていたことが窺えます。また、慶長8年(1603)には豊臣秀頼の寄進によって現在の社殿が建立されました。社殿は西面しており、本殿と脇殿は小高い石積みの壇上に建てられています。これにより、格式ある存在としての神聖さが感じられます。

現在の社殿は重要文化財。
社殿前庭にある座小屋も重要な歴史的建造物の一つです。修復が何度か行われましたが、その建物は社殿とほぼ同じ時期に造られ、中世から続く宮座(みやざ)と呼ばれる施設が受け継がれていることがわかります。これは神職の宿泊や祭祀の際の準備・管理を行うための施設であり、当時の宗教活動の様子を偲ぶ貴重な遺産と言えます。

将来は、神仏習合のよき信仰の道場として復興の途中

境内の真ん中には広い庭。そして周辺の道には、鳥居後のような場所も、地震で崩れたというのもわかります。東海トラフも注意ですね。

薬師寺の南に佇む休ヶ岡八幡宮。その本殿は、美しく三間社流造りで、両脇に脇殿が調和を見せています。この神社は、明治時代以降、神仏分離が進んだ中でも、珍しい例として、一つの寺院が神社を管理する形態を保っています。

将来に向けての展望も素晴らしいものです。
神仏習合の古来の信仰を再現し、神域をより整備し、楼門などの復興も含めて、日本の信仰の精髄を伝える場として蘇らせたいという熱い願いを抱いています。この神社はまさに信仰の道場としての役割を果たし、人々に希望と力を与える場となるでしょう。

休ヶ岡八幡宮に隣接する「孫太郎稲荷社」

薬師寺の中門前の道路を渡って、橋を渡るとすぐに稲荷社があります。

御祭神

● 倉稲魂命(うかのみたま・宇迦之御魂)
事業繁栄、商売繁昌、家内安全、厄除招福

孫太郎稲荷社は、その創建の詳細は明確ではありませんが、江戸時代中期に薬師寺の古文書に社殿の建立が記録されています。この神社は、江戸時代の中ごろに建てられたものと考えられています。また、社伝によれば、孫太郎稲荷は寛政年間に播州姫路から休ヶ岡八幡宮の北東、幸森に遷座されたとされています。

御祭神である倉稲魂命(うかのみたま)は、穀物や食物を司る神として知られています。人々は古くから倉稲魂命を祀り、豊かな収穫や食物の恵み、そして繁栄や安泰を祈願しました。そのため、今でも篤い信仰が寄せられており、多くの人々が孫太郎稲荷社に訪れて願い事を捧げています。

この神社は、歴史的な背景を持ちながらも、現代においても人々の心を惹きつける存在です。季節ごとの収穫や食物に感謝し、未来への繁栄と平安を祈る場として、多くの人々にとって特別な存在となっています。

小ぶりなお稲荷さんらしい感じの神社です。

奈良の社寺は、お参りして初めてわかるおもしろいことがたくさんあります。
それは、奈良という地が、この国の始まりの地だからかもです。
ただポツンポツンと離れた所にあるのと、交通手段が車以外ないところがあるので
十分調べて、お参り行かれると困ることも少ないと思います。

● 奈良薬師寺守護・休ヶ岡八幡宮公式ページ

しあわせな楽しい、いい一日を(笑)
人は、人生を楽しむために生まれてきたのですから!!

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