Hola Todosーー(^^♪
たくちゃんです
昭和47年、高松塚古墳の発見で、世の中は歴史ブーム。
ブームって、いつまでも続くのではなく、いつの間にか、世の中の盛り上がりも平常に戻っていく。新聞を見ていると、高松塚古墳とキトラ古墳の壁画公開の記事に目がとまりました。
当時は、風水の知識もなく、描かれていた「四神」の知識もなく、だからいつの間にか、高松塚古墳、キトラ古墳のことは、記憶の片隅にしまっていました。
新聞の記事を読んで、見に行きたいと気持ちが巻き起こり、公開会に参加して、実物の壁画を目の前で見てきました。もううれしくて、うれしくて!!
風水の始まりは、王家の家系が永続的に続くために、お墓から始まりました

高松塚古墳は、壁画公開の場所から、少し歩きますが、周囲の景色を見ながら歩くのもとても楽しいです。
現在は、火葬なので、お墓の方位はあまり効果がなくなったのですが
この当時は、土葬だったので、家系が永続的に続くために、王家お抱えの風水師が何年もかかって、明洞(気が噴き出す場所)を探して、王家が永続的に続くためにそこにお墓を作ってきたのです。
そしてふたつの古墳の公開も、ほんとうの壁画が一部見れて、お墓の内部の様子が、関連施設で感じられるのは、最高のチャンスだと思いました。ふたつの古墳とも埋葬された方が、四神に守られて、天井には、星が描かれて守られているのです。それを見れる機会があるというのは、最高です。これも奈良に住んでいなかったら、新聞の記事も目に入らなかったでしょう。
だから高松塚古墳、キトラ古墳とも壁画が公開されて見れるということで、申し込んでから、公開参加の返事が来るまでワクワクしていました。そして改めて、高松塚古墳、キトラ古墳のネットにアップされている記事を拝見しながら、現状の姿を頭の中にアップデートしました。
歴史ロマンの始まりは、昭和47年高松塚古墳発見から!

キトラ古墳は、駐車場の対面の山の裏側にあります。展望台から見る飛鳥村もきれいです。
1972年、奈良県高市郡明日香村で高松塚古墳が偶然の発見によって歴史の扉が開かれました。
その11年後の1983年、キトラ古墳の発見が、ますます歴史への興味を高めました。
当時、両古墳がスポットライトを浴び、当時の歴史の舞台が脳裏に描かれました。
僕はその当時、歴史の奥深さを理解する程には至っておらず、単なる「すごい発見だなぁ?」という感想しか抱いていませんでした。
そして風水の学び!!
風水を学び、風水の視点を持つようになってから、古墳の壁画が持つ意味や価値が、僕にとってより一層輝きを増しました。古墳の壁画が描かれた、その背後に隠された神秘的なメッセージに、心が躍る思いが湧いてきたのです。古墳の中には、6世紀や7世紀の時代からの痕跡が息づいており、四神の神々が崇められ、精緻な星々の絵が描かれている事実には驚きと興奮が込み上げました。
春、高松塚古墳の壁画とキトラ古墳の「白虎」、そして今回は「朱雀」と出会うことができました。その中でも特に印象的だったのが、美しい朱雀の壁画です。ほぼ完全な状態で残っている壁画は、当時の技術と熱意を感じさせ、驚嘆せざるを得ません。
当時の人々がこんなにも精緻な絵画を描く技能を持っていたことに驚きと感銘を受けました。
これらの古墳の壁画は、単なる美術作品以上の意味を持っています。それは、当時の人々の信仰や思想、文化の一端を垣間見る窓であり、過去と現在を繋げる重要な証人です。私の風水への探求心は、これらの古墳の壁画を通じて、歴史との深い対話を可能にしました。

第28回の公開は南壁の「朱雀」。春の青龍と比較すると、石室の扉の裏だったので、きれいに残っていました。