Hola Todosーー(^^♪
予祝風水師 たくちゃんです
奈良には、東大寺、春日大社、法隆寺、中宮寺・・・
たくさん好きな社寺が点在していますが、薬師寺も大好きな社寺のひとつです。
数年前に薬師寺に行った時に中門前にある奈良漬け屋さんで
7月、8月くらいにお参りすると、境内にきれいな蓮鉢がたくさん並ぶからおススメです。
って聞いていました。お参りしてきれいに開いた蓮が楽しみで、ちょうど風水鑑定で、そちらの方に行くので立ち寄らせていただきました(笑)
毎朝、手を合わして自分が、今、ニュートラルか考える高田好胤先生の「空」の色紙
この好胤先生の色紙!
風水的表現でお話しすれば
陰でもなく陽でもない中道で、バランスを取りなさい
という言葉です。陽でも陰でもどちらかに偏ると空間のバランスが狭くなっていきますし
こころの中が、何かに「かたよったり」「こだわったり」「とらわれてしまう」と壁が出来てしまいます。そうなるとやろうとしている目的への思いもバランスが崩れ、思ったような成果が上がらなくなる。
このこころの持ち方、毎朝、大切だなぁ? って思います。
好胤先生が、数々の名言を残せたのも、この薬師寺の空間、そしてお堂のレイアウトからきていると感じました。だから宮大工の西岡棟梁とされた金堂の再建は、再建されてバランスが取れたように、お参りしながら感じます。
薬師寺って、昔からいろいろな人の手で、作られてきたお寺
このお寺の歴史は古く、680年に天武天皇が皇后の病気平癒を祈るために薬師如来を祀るお寺として藤原京に建立を始めました。しかしながら、完成を見ることなく686年に天武天皇は崩御されました。
その後、持統天皇が寺院の建設を引き継ぎ、697年に本尊が開眼し、698年には伽藍が整いました。こうして薬師寺の前身が誕生しました。
その後、平城京への遷都に伴い、718年に薬師寺は現在の場所に移されました。
藤原京の旧寺も平安時代後期まで法灯を守り、本薬師寺として存在していました。平城京の薬師寺は、東西の双塔を含む七堂伽藍を有し、南都七大寺の一つとして名高かったのです。
しかし、973年の火災により金堂と東西の両塔以外の堂宇が焼失しました。
その後も何度かの災害に見舞われ、1528年には大和の地侍たちの兵乱によって、東塔を除く全ての堂宇が焼失してしまいました。
しかし、時は流れ、1968年以降、般若心経の写経勧進によって薬師寺の寺勢は回復しました。
そして、創建当初の様式に基づいて、金堂、西塔、中門、回廊、大講堂が再建されました。
このようにして、薬師寺は長い歴史の中で幾度もの困難を乗り越え、再興されてきました。
その美しい建造物と歴史的な価値は、多くの人々を魅了し続けています。私にとっても、薬師寺は特別な意味を持つ場所であり、父から受け継いだ「空」の色紙を通じて深い縁を感じるお寺です。
般若心経を翻訳した玄奘三蔵法師の頂骨が祀られる玄奘三蔵院伽藍
孫悟空の「西遊記」で三蔵法師のモデルになったのは
唐の僧侶・玄奘三蔵法師!!
薬師寺は、法相宗の大本山で、その法相宗の始祖が玄奘三蔵法師なのです。
薬師寺の玄奘三蔵法師の頂骨は、さいたま市の慈恩寺に安置された遺骨を分骨して祀られています。
玄奘三蔵法師は、タクラマカン砂漠や天山山脈を歩いて超え、苦難の末にインドに到着し、ナーランダー寺院で、唯識教学を学び、唐に帰国後は、経典の翻訳に生涯をささげられた人です。
玄奘三蔵法師がおられなければ、般若心経が日本に伝わっていたかと考えると、難しいだろうなぁ?そんな風に感じます。
奈良漬け屋のご主人が教えてくれた通り、すごくたくさんの蓮の鉢!
大講堂と鐘楼の前のスペースにたくさんの蓮の鉢が並んでいました。
早朝ではなく、11時過ぎで、気温も上がっていたので、蓮の花の瑞々しさも、少し落ちていましたが、きれいな大きな蓮の花を楽しむことができました。
喜光寺と同じように、薬師寺でもロータスロードが開催されていて、まだつぼみが多かったですが、きれいに手入れされている蓮の花は、仏像と共に癒されます。
奈良の社寺は、お参りして初めてわかるおもしろいことがたくさんあります。
それは、奈良という地が、この国の始まりの地だからかもです。
ただポツンポツンと離れた所にあるのと、交通手段が車以外ないところがあるので
十分調べて、お参り行かれると困ることも少ないと思います。
しあわせな楽しい、いい一日を(笑)
人は、人生を楽しむために生まれてきたのですから!!
Por una Sonrisa
Gracias en Amigo