みなさん、こんにちはーー(^^♪
予祝風水師 たくちゃんです
「わぁ、見て見て、この牡丹!花びらが透き通ってるみたい!」

お花を楽しむなら、朝ですね。瑞々しい姿で迎えてくれます。
毎年この季節になると、自然と足が向く場所があります。
それが、奈良・葛城にある石光寺。
この時期になると、石光寺さんのSNSの投稿を拝見しながら、まだかまだかと思う日々。
今だと思って、お邪魔すると春の訪れを知らせるように、境内いっぱいに咲き誇る春牡丹と芍薬。色とりどりの花たちが、ふんわりと甘い香りを漂わせながら出迎えてくれます。
今日は気温もぐっと上がり、まさに花開くにはぴったりの日。境内を歩いていると、あちこちから「うわぁ、きれい~」という声が聞こえてきて、私まで嬉しくなります。
「石光寺って、こんなに広かったんだねぇ。ゆっくり見れてよかった~」
初めて来られた方でしょうか?そんな声があちこちから聞こえてくるのも納得。
ここ慈雲山石光寺(じうんざんせっこうじ)は、670年ごろ天智天皇の時代に建立された由緒あるお寺。三つの光る石が見つかり、その地を掘ると弥勤三尊の石像が現れたという不思議な逸話も。役の小角が開山し、弥勤如来を本尊に祀ったのが始まりとされています。
さらに聖武天皇の時代には、中将姫がここで蓮糸曼荼羅を織るため、井戸で蓮糸を洗い五色に染めていたそう。その桜の木は「糸掛け桜」、井戸は「染の井」と呼ばれ、石光寺は別名「染寺」とも親しまれています。なんともロマンあふれるお話ですね。

中将姫さまが使われていた井戸がきちんと保存されています。
歴史ある境内を彩る牡丹たちは、ただ咲いているだけではなく、まるで語りかけてくるよう。ゆったりと歩きながら花の姿を眺めていると、いつの間にか心の中がスーッと澄んでいくのが分かります。
「ねえ、牡丹と芍薬ってどう違うの?」

牡丹と芍薬って、ホームセンターなどでも売られていますが、わかりにくいものです。受付で、質問されている方がチラホラ(笑)
散策していた方が、一緒に来ていた方と話されていたので、ちょっと豆知識タイム。
「牡丹は木に咲く花で、枝に花をつけるんだよ。だから“木の花”。一方で芍薬は草だから、茎の先に花が咲く。“草の花”ってわけ。見た目は似てるけど、育ち方が違うんだよね。」
「へぇ~なるほど!」
「しかもね、つぼみの形でも見分けられるんだ。牡丹のつぼみは丸くてふっくらしてるんだけど、芍薬のつぼみは先が少しとがってるの。咲く前から違いがわかるんだよ。」
そうそう、牡丹のあとに芍薬が咲くから、まるでバトンタッチみたいに楽しみが続くのも魅力のひとつ。しかもここ石光寺には、牡丹だけでなく、藤棚もあって、季節の移ろいをたっぷり堪能できます。

藤の薄紫と牡丹の花のコントラストは、最倖です。
今日は特に、春牡丹が満開を迎え始めたばかり。
大きくて瑞々しい花びらは、まるで絹のような質感。
陽の光を受けて透けるように輝いていて、ついつい見とれてしまいました。

牡丹の透き通るような薄い花びらがお日さまの光に照らされてきれいでした。

少し小さな花でしたが、瑞々しさが最倖でした。
「このお花、おうちにも飾れたらいいのにね。」
そう話されていた散策されている方に
「実は、お花って住まいに飾るだけでも運気アップになるんですよ」
とちょっと風水トークしちゃいました(笑)
見ず知らずの方でも、花を媒介してお話しできるのは、こんなステキな場だからでしょう。
お花の香りや色、そして形にはエネルギーがあって、空間の“気”を整えてくれる効果があるんです。特に牡丹や芍薬のような大輪の花は、豪華さと調和を象徴していて、気分も明るく前向きにしてくれる。だから、部屋にひとつ飾るだけでも、空気がふんわり変わるんですよね。
歴史と自然が融合する石光寺。ここに来ると、単にお花を楽しむだけじゃなく、自分の中の“感性”が磨かれる気がします。何百年も前からこの地に根ざし、時代を越えて人々を癒してきた花々と、お寺の静かなエネルギー。
その中で過ごす時間は、まさに“心のデトックス”。
ホームページに掲載されている住職さんのお話しもすてきです。

お寺のお世話をされる住職さん、スタッフの方々、好きでないとここまでステキなお庭は出来ないです。拝見させていただく機会に感謝です。
私は花が好きです。
けれど、ただ花が咲く姿よりも、茎や葉の色、形、生きる力に惹かれます。緑を見ると、心がほっとします。だからこそ、育てるという過程が好きなのかもしれません。特に牡丹や芍薬を育てていて感じるのは、「花は結果ではなく、ご褒美」だということ。石光寺の住職はこうおっしゃいました。
「花だけを見るのではなく、そこに至るまでの“いのちの流れ”を感じてほしい。牡丹のつぼみは丸く、芍薬のつぼみはとがっている。それぞれに違う命の形があるんです。」
本当にそうだと思います。病気もあるし、思い通りに育たないことも多い。でも、丁寧に向き合っていると、ある日ふっと「そうか」と心に答えがやってくる。その瞬間は本当に嬉しく、まるで仏教でいう“悟り”のような感覚です。
私は父の背中を見て育ちました。教えられたわけではないけれど、今になって同じことをしている自分に気づきます。花と向き合う時間が、自分の心を整えてくれているのかもしれません。
現代は結果ばかりを急ぎすぎます。でも花は、結果を取りにいくものではなく、授かるもの。花を育てるということは、自分の心を育てること。これからも、花と静かに会話しながら、日々を大切に過ごしていきたいと思います。

今日もこころの掃除をして、帰ることが出来ました(笑)満開の牡丹に感謝です。
今年も心がほっこりする春の一日を、石光寺で過ごすことができました。
さて、次は芍薬の季節。またひとつ、楽しみが続きます。
今日も「 TRANQUILO 」「あっせんなよ!」
人生の冒険、楽しんでくださいね!
● 石光寺ホームページ