Hola Todosーー(^^♪
たくちゃんです
半沢直樹、終わっちゃいました 😢
日曜日と言えば、
大河ドラマの「麒麟がくる」そして「半沢直樹」 ❣
日曜日が来るのが楽しみで、楽しみでした。
そんな方多かったのではないでしょうか?
それぞれの視聴率が、それを物語っているように思います。
半沢直樹は、僕にとっていろいろな楽しみ方がありました。
そのひとつが、父もバンカーだったので
生前の父のことと重ねながら見ていました。
僕の父もバンカーでした(笑)
現在のようにパソコンがあったわけでなく
電卓もまだなかった時代に
家で仕事をしている時は、そろばんで仕事をしてた。
僕にとっては、そろばんの珠を動かす音が
今でもこころに残っていてなつかしいです。
父は高卒で、富士銀行でお世話になっていました
今、富士銀行って言っても知らない人が多いでしょう
父は「富士」という名前もあって、富士山をこよなく愛しました。
それは僕にも引き継がれて、家の中は富士山の写真でいっぱいです(笑)
大手銀行だったので、高卒という引け目はあって
煮が油を飲まされたこともあったでしょう
朝早く出社して、夜遅く帰ってくる。ほんと頑張っていた父でした。
父は
・元バレーの国体選手だったので負けん気が強く
・正義感が強くて、筋が違ったことは認めなかった
・礼儀には、厳しかった
・超短気(笑)瞬間湯沸かし器で、こわかったです(笑)
・厳しい分、自分を律することがすごかった
たぶん自分や家族を律する性格は、仕事柄の部分が大きかったのではないでしょうか?
生前中は、瞬間湯沸かし器で、いろいろな方を不快にさせたこともあったでしょう
でも亡くなってから、父のお友達にお会いして
いろいろな人に愛されていたことがわかった
そんな父のもとに生まれて
半沢直樹を見ていると、ついつい父のことを思い出す
父の4回目の命日の今日、ふと父のことを記しておこうと思いました。
実は僕は、父が大嫌いでした(笑)
・礼儀、躾には、厳しかった
・間違ったことは、よう怒られた
・でも成績のことは、何も言わなかった(笑)
父が亡くなってから、父の幼少期の頃の話しを聞いたりする機会が増えました。
父の幼少期の話しを聞いて・・・
僕の知らない血のつながりを知る上で
一度、わかる範囲で 家系図 を作って見ようと感じました
最近、時間があれば、作っています。これが自分のルーツを知る上でもおもいしろい。
父のお母さんが、士族の血筋で
すごく礼儀、学びなどの躾に厳しく父を育てたようで
末っ子の父は、お兄さんと年齢も離れていて
いつもポツンと家の前に座っていたおとなしい子供だったそうです。
そんな話しを聞くと、生前の父のイメージとは食い違う部分があるのですが
でも僕と違って成績も優秀で
田舎の高卒ながら富士銀行にお世話になれたこと、当時は、話題になったそうです。
祖母の伝承もあったのかも(笑)
まじほんと厳しい父でした!!
アルバムをめくってみましたが
父との写真、僕が笑って撮っている写真は、一枚もありませんでした。
写真を撮るポーズも「きおつけーー!!」でした(笑)
よく「指先がのびていない」「もっとあごを引いて」とか
そんなことを写真を撮りながら言われる
写真を一枚撮るだけで、めちゃ時間がかかりました
そんなこともあっていつの間にか、父や家族と写真を撮ることがイヤになりました(笑)
怒られることが日常茶飯事になってくると
顔を見るのもイヤになるんですよね
また怒り出したか? って感じです
でも自分は、この親父を選んで生まれてきたんだ!!
ってことを、スピリチュアルな講座の時に聞いてから、少し視点が変わりました。
よく大学卒業して働きだしてからも怒られた
その頃は、若気の至りで感情的なったので
よく反発もしたし大嫌いでしたが・・・(笑)
父の本質が見えていなかったのですよね ❣
半沢直樹を見ながら、父がバンカーであったことを誇りに思うようになりました
銀行で働いていた頃は、帳簿が合わなければ、合うまで帰れない。
それもたった1円でも帰れないと、父がポツンと言ったことがあります。
人のお金を預かることはたいへんだなぁー!!
って、当時思ってました。
でも今、思い出してみると、
裏返すと愛情たっぷりのステキな父だったように思います。
すごく愛情表現が下手だったんでしょう(笑)
人としての生き方を教えてくれた
そんな父だった!!
コロナ禍になってから
・父から教えてもらった生き方
・母から教えてもらった生き方
を思い出していました。
母は、どんな苦しい時も我慢して、縁の下の力持ちだった。
父は、意識を失う前に
「ごめんな!俺が悪かった!」
とひと言だけ言って、それから意識がなくなった
それが何を意味しているのか? 推測はしながら、時々、考えたりします。
霊媒師さんから
「お父さんが、あなたの現状の状態をすごく心配している」って最近聞きました
心配をかけて申し訳ないと、ずっと反省してました
まだいい年して、父、母のふところで、まだ守られているように感じる
今日この頃
今でも、まっすぐに生きるよう一生懸命導いてくれている
そんな気持ちに感謝しながら
先を読むことが、ぴかいちだったバンカーの父のように
苦しい中でも歯を食いしばっている頑張っている人に
僕は笑顔を届けていきたい!!
Nos vemos manana 👍